2011年12月20日火曜日

秋学期終了!冬休みが始まります

9月から始まった秋学期がやっと終了して、3週間の冬休みに入りました。記事の更新がだいぶ滞ってしまいましたが、無事に学期が終了したので、書きためていたものを遡ってアップデートしていきたいと思います。リージェントも冬休みに入って、ほとんどの学生が家族のもとに帰省するのでキャンパスも図書館もひっそりとしています。今週中に返ってくる成績(GPA方式)を気にしながら、次の冬学期の計画を立てているところです。

家庭を持っている学生は3科目(9単位)取るのも大変なぐらい、リージェントの勉強は厳しいですが、来期は4科目(11単位)履修をチャレンジしてみたいと思っています。個人的にはとても興味のあるMarketplace Theology(2単位もしくは3単位)が開講されるので、専門科目ですが、一度授業に出てみて取るかどうか決めてみようと思います。履修登録した2日後に、担当教授(Paul Stevens教授)から課題図書がPDFファイルで送られて来て、課題図書+事前リーディングで650ページぐらいのボリュームがあり、若干尻込みしかけています。予習に忙しくなりそうな冬休みですが、明日はリージェントの同級生の家族と一緒にスタンレーパークに遊びに行く予定です。カナダで初めての釣りにチャレンジしますが、どんな結果になるか、楽しみにです。(ちなみに友人は、夕食のおかずを釣ると確信しているようです)























(今日、教会の親友から届いた、心温まるクリスマスカードです)

2011年12月12日月曜日

クリスチャンの思想と文化の試験問題

リージェント・カレッジの名物講義であるクリスチャンの思想と文化(略称:CTC)ですが、実際にどのような試験問題なのか?評価と一緒に紹介させてもらいます。

まず、評価の内訳ですが、
1. 15%・・毎週提出のリーディングサマリーと小レポート
2. 10%・・チュートリアル(小グループ)の貢献(自己評価+チューターの評価)
3. 5%・・自己紹介と証し(1,000Words)
4. 35%・・TermPaper(2,000Words)
5. 35%・・論述式の期末試験
の合計100%で成績が決まります。

ボリュームとしては、圧倒的に1.のリーディングログ(読書課題のサマリー)が最も大きく、毎週80-100ページの課題を本ごとに2つか3つのログにまとめて、月曜日の4:30までにWeb経由で提出します。それをチューターが10点満点評価をするという内容です。もちろん、重要なトピックが漏れているとチューターの指摘が入り、減点となります。更に毎回、200-300Wordsの小レポートが課題に出ます。レポートのお題も「宗教改革は悲劇だったか、必然だったのか?どちらかのポジションで論じよ」とか「あなたはクリスチャンの世界観と科学の世界観に一貫性を見出すか否か?」など、結構ヘビーな内容で毎回頭を悩ませました。リーディングログも1つあたり100字以内という制限がついていて、30ページの内容をどうやって100字に集約させるのか?という難題に取り組む必要があり(これは論文作成のトレーニングのためのようです)、本当に苦労しました。ネイティブの学生でも、慣れるまで1日がかりの作業で、自分の場合は15-20時間かけてやっていました。もちろん、CTCの授業だけだったらいいのですが、他の授業の論文締切や、試験勉強が重なるとボディブローのように毎週のリーディングログが睡眠時間を圧迫していく・・という状況になります。
35%の評価を占めるTermPaperですが、お題はCTCの授業に関係するトピックだったら何でも良しという、かなりフリーな設定でした。私は三位一体論に興味があったので、「The centrality of the Trinity in Christian life and its relevance to Christian living in Japan」というテーマで書きました。(三位一体を中心としたクリスチャン生活と日本のクリスチャンとの関連性という内容です) 日本の教会ではあまり詳細を語られない三位一体論ですが、こちらには多くのテキストがあり、新しい視点をたくさん得ることができました。

そして最後の山場である期末試験ですが、1時間半の試験時間で1本の小論文を書くという内容です。論文のお題は1週間前に提供され、8つのお題のうち、5つから選択できるというものです。(確率論からいうと、4つのお題を事前準備しておけば、ハズレはないという設定です)

一応、お題には事前設定があって、「クリスマス休暇であなたが実家に帰った時に、リージェントでどんな学びをしたの?という話題になるでしょう。その中でクリスチャンもしくはノンクリスチャンの家族か友達から、キリスト教についての質問を受けた時に、CTCで学んだ内容から相手に納得してもらえる回答をできるようにしておきましょう」といった感じです。

そしてそのお題の例は・・
“There are many reasons why I could never become a Christian; but the main reason is that Christianity is an innately Western religion.”
「わたしがクリスチャンに決してならない理由は5万とある。しかし一番の理由は、そもそもキリスト教って西洋の宗教だからです。」

“Don’t talk to me about Christians and politics. History shows us that, whenever Christians have wielded political power, this has been bad news for everyone else.”
「キリスト教と政治については聞きたくもない。歴史を見るとクリスチャンはいつも政治を握っているし、これは誰にとっても悪いニュースにしか聞こえない」・・・ちょっと日本人にはしっくりこない問いかもしれません

“How can you possibly be so smart and also be a Christian? Faith and reason are like oil and water – they have never mixed well.”
「どうやって知的さとクリスチャンであることを両立できるの? 信仰と理性は水と油のようなもので、決して一緒にならないでしょう?」

といった感じです。どれもクリスチャンとして生きる上で大切なテーマ・トピックで、改めてCTCの授業の狙いについて考えさせられました。クリスチャン生活の中で疑問に思うことを、クリスチャン思想史と歴史を通して回答を得ることはとても大切なことです。冬学期には宗教改革以降の思想と文化について取り扱うCTCIIがありますが、クリスチャン生活にとって鍵となるアイデアをしっかり吸収して、アウトプットできるようにしていきたいと思います。




(キツラノビーチの夕日・・とても綺麗でした)

2011年11月9日水曜日

英語が苦手でも海外の神学校に行けるのか?

日本にいるときにはよくクリスチャンの友人から、「えーっ本当に海外の神学校行くの?」、「そもそも英語できたっけ?」とよく聞かれました。それもそのはず、英語が好きでもなく、大学受験を最後にほとんど勉強してこなかった自分が海外の神学大学院で勉強しているのですから、本当に驚きです。
英語が苦手でも、海外の神学校に行けるのか?この質問は入学前と入学後の2つの質問に分けることが出来ると思います。

1.海外の神学校に入れるのか?
もちろん、TOEFLで基準となる点数を満たせば入ることが出来ます。大学院コースの場合、大学での成績を提出する必要がありますが、卒業した大学がGPAを採用していなくても、成績証明書を提出すれば大丈夫だと思います。
ちなみに、2011年時点で主な神学校のMdiv(牧師学修士)の入学最低点は
・フラー神学校 93点
・ゴードンコンウェル神学校 92点
・リージェントカレッジ 90点
・ダラス神学校 85点
・カルバン神学校 80点
(学校によっては、ライティングやスピーキングの最低点があったりします)

なので、神学校によって若干求められるスコアが異なります。ちなみに80点と90点の差は大きくて、なかなか点数が上がらない時期には80点で入学できる神学校に入ろうかと考えたこともあったくらいです。

ちなみにMBAのトップスクールの場合は「100点以上、場合によっては108点以上が望ましい」となっていますので、どの神学校も求めるレベルはそこまで高くなく、受験も基準点と推薦書をちゃんと揃えれば入ることが出来ると思います。
私の場合は、最初に受けたTOEFL(2010年4月)が44点で90点を超えるのに約1年3か月かかりました。
でも本当に苦手な人でも、きっちり勉強をすればTOEFLの点数は取ることが出来るでしょう!

2010年5月~11月(イフ外語学院のTOEFLコースを受講・週3回)・・70点突破
(2010年12月に会社を退職、英語の勉強に集中)
2011年2月~5月(WebトレーニングのReading、Listeningコースを受講)・・80点突破
2011年7月~8月(カナダの語学学校で勉強)・・90点突破
と3本立てで勉強を積み重ね、なんとか基準点を超えることが出来ました。

ちなみにためになった参考書を一部紹介させて頂きますね。
1.TOEFLテスト英単語3800 (TOEFL iBT大戦略シリーズ)
→ランク1-4までありますが、ランク3ぐらいまでを完璧に覚えるとリーディングが楽になりました。
2.ケンブリッジの『English Grammar in Use With Answers (Book & CD-ROM)』
→英語の参考書ですが、Intermidiateを2回ぐらいやるとライティングが少し書けるようになりました。
3.Delta's Key to the Next Generation Toefl Test: Advanced Skill Practice for the Ibt
→Webラーニングで使った参考書ですが、Listeningの教材を1日4時間リピーティングを2か月
続けたところ、1年間18点止まりだったListeningが23-24点まで伸びました。ただ聞き流している
だけでは、なかなかListeningは伸びないと思います。

TOEFLの勉強は試験対策的な要素もありますが、iBTに変わってから非常に実践的な内容になったので、海外大学院で勉強するためには本当に役に立つ勉強だと思います。TOEFLを受けた回数は計18回と伝説に近い受験回数になってしまいましたが、大学院レベルの勉強は本当にハードなので、1年3か月の英語の準備を通して、「決して折れない心」を鍛えてもらえたと思っています。

2.実際に勉強についていけるのか?
一応、基準点を突破して入学をしましたが、授業についていくのは本当に大変です。。恐らくTOEFLで100点を超えていないと、授業を楽しめるところまで行けないと思います。 正直今学期の授業の理解度は50-60%程度で、小グループのディスカッションにはついていけず、自分の意見を簡単に述べるのがやっとといった感じです。レポートについても、TOEFLのライティングで26-28点くらい取れていないとつらい感じかと思います(自分は24点が最高点でした)
それでは実際についていけるかどうかについては、インターナショナルの学生(英語が第二外国語)向けのサポートがどの程度充実しているかによると思います。リージェントはESLヘルプデスク(毎週2回、無料、登録自由)があるので、レポート提出前に持っていくと丁寧に文法チェックをしてくれます。もちろん、レポートだけではなく、授業で分からなかったところの相談やノートのとり方なども教えてくれます。何よりも、3年次の学生が先生をしてくれるので、神学の背景があるうえでのサポートなので助かります。私の場合は、ヘルプデスクを活用しながら、ネイティブの友人に時々見てもらったり、相談に乗ってもらいながらなんとかやっています。

35年前にシカゴの大学院に留学した父が「あっちに行けばなんとかなるんだよ」と口癖のように言ってくれましたが、神学校がどれだけインターナショナルの学生に対して手厚いフォローをしているかという点が大事だと思います。恐らくWebサイトだけではなかなか分からないので、実際に勉強している人に聞いてみるのが一番でしょう。




(初回のTOEFLのスコアです。。Listening2点を見たときは、妻と一緒にもう笑うしかないねーという感じでした)

2011年10月24日月曜日

クリスチャンの思想と文化 最初の講義 ~Stories, Your Story, God's Story~

リージェントではよく学生の会話の中で「CTC」という単語が頻繁にやり取りされます。

「今学期何のコース取ってるの?」

「うーん、OT(旧約聖書基礎)とHistory(歴史)とCTCだよ」

CTCどう?」 

「うーん、まじでCTC大変だよね」、

「そうそう、リーディングの量が半端ないし・・」 といった感じです。

長い間、IT業界にいたので、CTCというと伊藤忠テクノシステム(ちょっと前まで伊藤忠テクノサイエンス)が真っ先に思い浮かぶのですが、リージェントの名物授業であるCTCは、Christian Thought&Culture(クリスチャンの思想と文化)の略です。単にクリスチャンの思想や文化を座学で学ぶだけではなく、クリスチャンとしての変革(Transformation)を狙いとした、非常にチャレンジングな授業で、ALLリージェント+外部講師が持ち回りで各専門知識を生かした授業をしてくれます。秋学期がI、冬学期がIIと宗教改革前と後の時代区分で2つのコースに分けられています。内容は初代教会の教父の思想から、その背景となったギリシア哲学、各時代の思想、科学と宗教、芸術、現代のモダンからポストモダンまで、かなり深く専門的に学んでいく内容になっています。

今回はCTC Iの最初の授業であるProvan教授の「Stories, Your Story, God's Story」から、講義ノートに沿って、主な内容をシェアしたいと思います。

1.私たちの人生(ストーリー)の始まりについて
多くの人が自分の人生の記憶がどこから始まったか知りません。人生の始まりはミステリーであり、忘却から始まっています。私たちは聖書の言葉にこのミステリーについての言及を見ることができます。「神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることはできない。」伝道者の書3章11節


2.私たちの人生(ストーリー)の最後について
そして私たちがこの人生を終えた後にどこに行くのかを知りません。人生が終わったその先の探求も、中途で行き詰るため、混沌から脱出することができないのです。ダンテの『神曲・地獄篇』の冒頭は「人生の道の半ばで正道を踏み外した私が、目をさました時は暗い森の中にいた」というフレーズから始まります。 結局、私たちの人生は未完であり、何とかしてより偉大な人物との関係を深めたり、自らの有名さを通して歴史の一部になろうと努力しているのです。

3.ポストモダニズムとは?

ポストモダニズム思想の究極的な答えは「偉大な物語はこの世に存在しない」という考えです。 言い換えると、「この世界には私個人しか存在していない」という思想になりますが、フランスのポストモダニズム研究者であるジャン・フランシス・リオタールはこの事を「メタナレイティブへの不信である」と表現しました。これは我々が無自覚に信頼している科学、経済(共産主義、資本主義)そして宗教への根本的な疑いであるということも出来ます。
「我々は科学が万能でないこと、私たちが歴史を通して作り出したシステムが実は不確かで壊れやすいものであることに本能的に気づいている」

有名な戯曲である、『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(Rosencrantz & Guildenstern Are Dead)の中では、周りの状況を理解できていない主人公2人が全く無意味な機知ある会話に没頭し、時間を無駄にしてしまうストーリーが繰り広げられますが、まさにポストモダニズムに生きる現代人の姿を現しています。ダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』では、「われわれは、お茶の葉っぱが東インド会社の運命を知らないのと同様、自分自身の運命を知らない」という有名なフレーズがポストモダンに生きる人々の特徴をよく表しています。しかし、多くの人はこのような現実に実直に生きることは難しく耐え難いものであると言えます。

4.しかし、人間はそのように創られてはいない
富と名声の魅力の中に現代人の心が現れています。 なぜ人はメロドラマとテレビゲームに夢中になるのか? それらに没頭する私たちの思考の中に「いったい何が起こっているのか?」という根本的な問いを投げかけることが出来ます。 現代の私たちは、他者を超えることや、より偉大な何かに引き付けられています。しかし、現実は確信できるものが不在の中で、自分自身の人生を造り出さなければいけない。
ポストモダニズムが蔓延しているこの社会では、だれもこの現実をなかなか見ようとはしません。もし、人間が人生の始まりと終わりを知ることがないならば、私たちの人生はただ過ぎ去り、消えていくしかない。そして、もし私たちが自分の人生しか持っていないならば、それは惨めであると言えるでしょう。
トルーキンの指輪物語の「シルマリリオンの物語」では、「私たちは終わることのない、同じストーリーを繰り返しているだけで、自分の存在に自らのアイデンティティを見出している」
人類の課題は「私たちが存在している世界」と「私たちの人生」の関係を見出すことです。それが個人的なものか?それとも、もっと大きく意味がある何かか?

5.クリスチャンの答え
クリスチャンは個人の人生に固着していません。世界全体は創造主なる神の世界であり、人間は神の形に作られた。そして世界は人間が真理を見つけることのできる場所であるという理解のもとに生きています。そして、真理は世界のどこにでも見つけることができる。なぜなら、すべての真理は最終的には聖書の語る福音の真理につながっているからです。 G.K.チェスタートンは「もし宇宙に壮大なストーリーが存在するなら、それは暗に宇宙の語り部の存在を意味する。」「私は今まで世界がマジックのように動いてきたことを信じてきたが、今や私はマジシャンに関心を持つようになっている。」 更に指輪物語のトルーキンは、「全ての童話は聖書の語る福音を反映しており、そして聖書は世界のあらゆるストーリーを理解するための手助けとなる。」とも言いました。
私たちは本当に意味ある人生を必要としています。指輪物語の主人公であるフロード、ダンテや他の人々がそうであったように、自らを理解し、人生の立ち位置を定める必要があります。そして私たちの人生はすぐ間近にある壮大な創造主なる神のストーリーに統合されるのです。
[God connects our beginning to our end.] 創造主は私たちの初めと終わりをつないでいる。このクリスチャンの思想に生きたアウグスチヌスは、「あなたはわたしたちをご自身に向けておつくりになられました。ですからわたしたちの心は、あなたのうちに憩うまで安らぎを得ることはできません」と言いました。そしてパウロは「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には、顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しかしりませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります」[コリント人への手紙第一13章12節]と語りました。
この聖書の約束は私たち人間を「彼らは永遠に幸せに生きる」という祝福の中に生かすのです。

6.CTC(クリスチャンの思想と文化)とは何か?
私たちは聖書の語る神のストーリーのただ中にいます。そして、ただ聖書からだけではなく、私たちの起源でもある2000年に渡るクリスチャンと教会の歴史からそれを知る必要があります。このコースに必要なものは、講義やリーディングから得た思想や信仰を自分の中で思い巡らすこと、そして理解し、その起源を知り、クリスチャンとしての立ち位置を据えることです。(以上)

毎週100ページを超えるリーディングと週2回の講義、そしてディスカッションを交えたチュートリアルは、かなり重い授業ですが、一言でいうと「クリスチャンとは何か?」を根本から考え直し、自分がいったい何を信じ、どう生きてきたかをキリスト教2000年の歴史から問い直すのがコースの狙いかと思います。このCTCIとCTCIIを通して、クリスチャンとしてTransformation(変革)出来たかどうか?が大切だと、チュートリアルの担当教授は最初の授業の後に話して下さいました。IとII合わせて、約8か月に渡る長い道程ですが、しっかり吸収、消化して、学びを進めていきたいと思います。

 

2011年10月10日月曜日

リージェント・カレッジの紹介

新しい友達に出会うたびに「なんで日本からリージェントに来たの?」と必ず聞かれます。これだけ日本人がたくさん住んでいるバンクーバーでたった一人の日本人学生なので、当たり前の質問だと思います。1学年が約150人程いるリージェントの中で、うち3割がアジア・ヨーロッパ・アフリカからの学生で、学生が多い順番で言うと、中国・イギリス・シンガポール・香港・南アフリカ・韓国といった感じです。海外の神学校に行くことを決めた2007年(4年前)には、リージェント・カレッジを第一志望に準備を始めることになりましたが、今回はまず、神学校の紹介をさせて頂きます。


















リージェントカレッジは1968年創立。1960年代にカナダ・バンクーバー地域のクリスチャンの実業家と大学教授たちが、牧師を養成する教育だけでなく、全クリスチャンを対象とした神学教育の実現についてディスカッションと祈りを重ね、「一般社会(企業など)」、「教会」そして「教育機関」に仕えるクリスチャンを対象とした神学教育を目指して設立されました。1968年、1969年と2年にわたる夏季講座開講の後、1970年の初年度には6名の学生の入学が決まりましたが、そのうちの2名は授業が始まる2週間前に交通事故で亡くなり、神学校最初の公の集会は2名の学生の葬儀から始まりました。この出来事は神学校に大きな影響を与え、信仰の領域における人間の「弱さやもろさ-Frailty」と「不安定であったり傷ついている部分-Brokenness」を神学教育に反映させることとなりました。(創設当時のメンバーはこの出来事によって本当に傷つき、言葉にできない痛みを経験しました)その後、リージェントカレッジは40年に渡り、国際的な多様性と多くの神学教育の試みを続け、その歩みを続けてきました。現在、カナダの福音主義の神学校としては最大規模のフルタイムで350名、パートタイムも含めると1,000名以上の学生が学んでいます。クリスチャンの霊性について、福音主義の立場から考察する「霊性の神学」を始めた神学校であり、「神学校」、「市場(企業)」、「教会」の3つの繋がりと関係を構築するための「市場神学-Marketplace theology‐」の講座と実行機関を持っています。そしてリージェントカレッジは、聖書に書かれている「地の塩、世の光」というクリスチャンにとって大切な使命を反映するために、カナダで2番目に大きい大学であるブリティッシュ・コロンビア大学内にキャンパスを置き、提携関係にあります。(以上が紹介です)

さて、最初の質問に戻りますが、私が数多くの神学校の中からリージェントカレッジに興味を持ち、学びを始めることになったのは、牧師として必要な聖書の基本的な学びやクリスチャンの歴史の理解に加えて、
「霊性の神学に興味があり、クリスチャンとしてのあるべき霊的生活とは何か?についてしっかり学んでみたい」
「10年会社で働いた経験を用いて、社会の現場で必要とされる聖書のメッセージと教会がチャレンジできる働きについて考えたい」
という願いがあったからです。まだ学び始めて数週間ですが、非常にアカデミック(学術的)で高いレベルの学びが求められる一方で、人間の弱さや過去の心の傷、霊的な貧しささえもオープンにし、神学校でのコミュニティ(人間関係)を通して励まされ、建てあげられていく雰囲気があり、リージェントカレッジで学びを始めることができたことを心から主に感謝しています。オリエンテーションでは理事長が挨拶の中で、40年前の交通事故で亡くなった2人の学生の名前を読み上げ、大きな挫折、痛みから始まったこの神学校のコミュニティがなぜ人間の弱さや傷、壊れやすさに対して特別な思いをもって関わってきたか、そして40年にわたる神学校の祝福がどこから始まったのか、分かりやすいメッセージで語ってくださいました。
「良いもの、強いもの、効率的なもの」をひたすら求める競争社会の中にあって、真に知恵深く生きるためには自分の弱さや傷にしっかり向き合い、受け止めていく能力が必要だと思っています。クリスチャンであっても気を付けないと、聞きやすいサクセスストーリーや心地よいメッセージに注目しがちで、考えたくない負の部分にはなかなか真正面から向き合い辛いこともあると思います。人間の「Frailty」と「Brokenness」を考えるとき、「私が弱い時にこそ、私は強いからです。」とパウロがコリント書で語った聖書の言葉を覚えさせられます。

2011年9月15日木曜日

秋学期開始!!

ここでは、具体的にどんな学びをしているのか、少し紹介させて頂きます。牧会学修士(3年コース全90単位)のうち、2011年秋学期は9単位の学びをしています。履修登録している授業は
・旧約聖書基礎論
・クリスチャンの思想と文化1(初代教会から宗教改革まで)
・クリスチャンの歴史1(初代教会から宗教改革まで)
の3つです。1つの授業が週3時間なので、3授業×3時間の9時間ですが、それぞれにプラス1時間のチュートリアル(小グループでの補講)がついています。さらに英語が苦手な学生向けの授業が週3時間あるので、週15時間くらいの学びになります。しかし、リージェントは勉強の厳しさで有名らしく(入る前から聞いてはいましたが・・)各授業のリーディング(読書)の量が半端なく、3つ授業を取るだけで、週300ページぐらいの読書課題と、毎週のレポート提出が求められます。特に「クリスチャンの思想と文化1」はリージェントの中でも名物授業で、教授全員が毎回の授業を持ち回りし、それぞれの得意分野から全力投球の授業をしてくれます。さらに「なぜ私はクリスチャンになったのか?」「なぜリージェントに来たのか?」という証を書いて、小グループで共有したり、丸1日のディボーションが宿題に出たり(なんと丁寧に「丸1日のディボーションの仕方」という、ガイドラインも配られています)と、キリスト教の文化や思想を頭で理解するだけでなく、クリスチャンとしての成長と変革(Transformation)を目的としたプログラムになっていて、精神的にも非常にチャレンジを求められる授業です。いろいろな背景から来た学生(福音派そして聖公会からペンテコステ派まで)が一つになって、「クリスチャンとは何か?」そして「自分の持っている信仰はどのような文化と背景を持っているのか?」を一緒に再確認するプロセスは、クリスチャンとしての視野を広げて、2,000年の歴史から多くのものを学ぶ機会だと思います。

3つの履修科目のうち、どの授業も面白く勉強になる内容ですが、入学してすぐに分かったことは、ほとんどのインターナショナルの学生(アジアやアフリカなど北米以外から来た学生)がアメリカかカナダの大学卒業者で、私はこの秋入学の生徒の中で、間違いなく最も英語が出来ない生徒の一人であるということでした。(正直、とても大変ですが、謙遜に学ぶことができるので感謝です) しかし、今年からESLのプログラムと無料のレポート、論文の添削をしてくれるサービスがあるので、英語が苦手でも、リーディングの課題さえついていければ、何とかこなせるのではないかと思います。なかなか日本人がチャレンジしにくい環境だと思いますが、毎回の講義が面白く、そして信仰的な示唆をもらえる素晴らしい内容なので、もっと日本にもアピールしてきたいと思いました。

(9月のリージェントカレッジ、リトリートのオープニング・・教授と生徒とその家族含めて300人以上が参加する一大イベントでした)

2011年9月9日金曜日

シアトルでの学生ビザ申請

急きょ必要になった学生ビザ。カナダ学生ビザ取得の裏道バージョンとも呼ばれるSeattle(シアトル)のカナダ移民オフィスで申請してきました。

(※2012年6月からシアトルでの個人によるビザ申請は受け付けていないようです
詳細はカナダシアトル領事館のホームページをご参照ください)

オリエンテーションの初日(9/2)に、9月23日までに学生ビザを取らないと授業に出席することが許されないと言われ、(入学前には全く聞いていませんでした)、翌週の火曜日には急きょ家族でシアトル(アメリカ合衆国)に行ってビザ申請をすることに。。。

ビザの申請プロセスでメディカルチェックにかかると3か月はシアトルに足止めと脅され、半端ない量の提出書類に(全書類の厚さ合計1.0センチくらい)目がくらみそうになりましたが、必要な助けはすべて与えられ、無事にバンクーバーに戻ってくることができました。オリエンテーション(9/2)の昼休みに、ビザの必要性を聞かされ、午後の祈りの時間に「とりあえず、何をしていいかわからず、どうしようもありません、必要な助けをください」と神さまに祈ると、それからすぐ後に香港から来た同級生夫婦が声をかけてくれて、なんとビザの書類作りを手伝ってくれました。彼らもビザ取得に苦労したようで、必要な書類のチェックと英文の書き方の指導まで本当に丁寧に教えてくれました。シアトルでの滞在も、KGKでの友人が家に泊まらせてくれて、ビザ申請に必要なもののすべてが与えられました!

カナダ領事館の窓口では「最短でも5日かかるけどいいか?」と言われましたが、なんと!その日の午後には、メールでビザの申請許可を貰うことができ、なんと最短2日でビザ許可が取れました。
申請前にはいろいろなサイトでシアトルでの学生ビザ申請手続きについて調べましたが、1泊2日で学生ビザが取れるケースは少ないようで、奇跡のスピード取得でした。すんなり行った理由を自分なりに分析すると。。
・シアトルのCanadian Visa OfficeがHP上に出している、提出書類一覧を一番上にして、きちっと揃えて順番に並べて提出(カナダCICのHPの提出書類一覧とは異なるので、要注意!)窓口で渡した時に、担当者から質問・ツッコミなしで受領されました(受付番号で直前の人が書類間違いで即キックアウトされていただけに、提出の瞬間はすごく緊張しました)
・カナダの銀行のBank Statementを提出。6ヵ月に足りない期間の部分は、日本の預金通帳に英訳を添付して提出。
・大学の卒業証明(英文)と成績証明(英文)も併せて提出(こちらはシアトルの提出書類一覧に必要書類として記載されています)
・同伴家族の証明として、日本の戸籍証明の写しに英文訳を添付して提出。
・提出すべき全書類を、提出経験者のある人にダブルチェックしてもらう(ダブルチェックしてもらう前に2度自分で見直しても、いくつか記入間違いがありました)
(ちなみに上記はあくまでも、1例ですので、通常は手続きに5営業日以上かかるのだと思います)

帰りのアムトラックの終着駅でカナダ国境を超えるときのインタビューも、国境での係官がイスラエルの過去の渡航ビザを見て「そうか、将来牧師になるのか!俺の友達はパウロに興味があって、イスラエルからトルコまで行っていたよ、とてもGreatだ!」と話してくれて(英語のリスニング力が足らず、何を言っているのかあまり分かりませんでしたが、たぶん彼はクリスチャンだったと思います)スムーズに2015年までの就学ビザを発給してもらえました!正直、ビザが取れなかったら、入学を延期して、一度日本に戻ることも覚悟しましたが、何もかもすべて委ねて、信じて前に進むことの大切さを教えられました。

(シアトル近郊のベルビューダウンタウン公園・・滞在先のベルビューはとても素敵な町でした)

2011年8月11日木曜日

ポストモダニズムと無神論

リージェント・カレッジ夏学期の公開講座の最後の授業はMessiah CollegeのCrystal Downing教授でした。http://www.messiah.edu/departments/english/faculty/downing.html

『ポストモダンの代表的な思想である「無神論(Atheism)」こそ、創造主とイェス・キリストを信じるきっかけを持っている』という大胆な主張で始まり、現代社会の人の心、精神の由来を考える貴重な話をしてくださいました。

Downing教授はモダン、ポストモダンアートと現代建築の分野を研究していて、美術そして建築のデザインそのものから、それぞれの時代の思想とキリスト教観を抽出するような内容です。講義はモダン前の中世の宗教画の説明から始まり、ポストモダン主義を代表する思想と美術品、そして1900年以降の建築思想について、具体例を挙げながら詳しく説明してくださいました。

講義の全体的な理解となる基本的な内容は
・1400‐1500年以前のキリスト教の宗教画は「崇高なメッセージ」を伝える目的で書かれていた。
・16世紀以降、モダニズムの絵画に遠近法や実写的な要素が取り入れられ始める
・ルネッサンス以降の絵画に見られるようになった「ありのままを書く」、「さまざまな角度から物事を見る」考え方は、近代思想の主流となり、「私自身が理解できる物だけを信じる」という考え方につながっていく。
ルネ・デカルトの「今までの考え方を疑い、自分自身のみを信じる」・・われ信じる故にわれあり・・という思想に始まり、現代の私たちは、ひとりひとりがそれぞれの宗教的価値観、信条、考え方を持つようになった。
(講義はモダニズムからポストモダニズムの建築に現れる、現代人のふ信条や思想にふれ、自ら理想とする信念や信条を追い求めながらも、到達することのできないもどかしさを説明していました)

フレデリック・ジェイムソンがポストモダニズムの問題としてとらえる、「共時していない、共時性」(共時性・・意味ある偶然の一致)がまさに現代人の病であり、真理を求めながらも真理に行きつかない、古き良き伝統に懐かしさを覚えつつも、その本質から遠く離れた形だけのものを求めたりしていることに、その現象を見出すことができます。

この講義の結論としては、クリスチャンの立場として、ポストモダニズムの影響を受けた「無神論」こそ信仰を知る大きなチャンスであり、神ご自身が、人々に彼を知ってもらうためにポストモダニズムを利用される・・という大胆な考えに至ります。なぜなら、「無神論」という立場である以上、自分自身で宗教を建てあげているのと同等の状況であり、物事を真剣に考えるなら、神についてもっともっと話す機会を投げかけることができるからです。

非常に刺激的な、少し極端にも思える議論でしたが、なるほど2つぐらいピンとくる内容があったと思います。
1つめは、現代人はそれぞれに信条、信念を持っていて、それらに個人の信仰が大きな影響を受けているということです。たとえプロテスタントのクリスチャンであっても、信じ方や信仰のあり方、信じるきっかけや背景は、驚くほど異なっていて、同じ神を信じていても、それぞれがオリジナルを持っていることの理由がよくわかりました。(もちろん、日本人という大きなバックグラウンドがどのような影響をもたらしているかは、もう少し考察する必要があるでしょう)
2つめは、ひとりひとりがそれぞれの物事の見方を持っていて、それらが独自の信条のような形をしているのであれば、まずはその形をよく知ることが、その人自身の心を開き、信仰や信条について話す土壌ができるのではないかということです。また、特定の考え方を一方的に押し付けられたりすると、せっかく築き上げてきた個人の信条を否定された気になり、拒絶反応を持つことも当然のことでしょう。

この夏最後の公開授業でしたが、クリスチャンそしてまだクリスチャンになっていない人に対して、どのように接したらいいか、深く教えてもらえる機会となりました。

2011年7月31日日曜日

The Kingdom of God

7月一杯で終了した、リージェントカレッジの公開講座ですが、今日はMichael Pucci教授が講義された内容をシェアしたいと思います。

Michael Pucci教授はリージェントの夏季授業で「Owning Poverty: A Transformational Spiritual Journey」を担当されていましたが、今回は「Kingdom Transformation: The Individual and Community」という題名で講義してくださいました。
まずはじめに「The Kingdom of God(神の国)」について、マタイの福音書6章33節に「神の国とその義とをまず第一に求めなさい」という言葉があるが、いったい神の国とは何なのか?目に見えない神の国をどうやって求めるのか?手に入れるのか?神の国を求めた結果は何なのか?という問いからスタートしました。

神の国を求めるときに、個人的なTransformation(変革)が目に見える結果として現れ、それはWestern Culture(西洋文化)の常識とはかけ離れたものです。西洋文化の常識は、個人のTransformation(変革)は能力の向上や、リソース(ここではお金や物質的価値)を集めること、強い組織を作り上げることにおける成功に焦点が置かれているが、聖書が語る神の国、そして個人の変革はこの世界の価値観とはまったく逆の「貧しさを身にまとうこと」です。
なぜなら神の国「Kingdom」のKingはイェス・キリストであり、神の国を求めることは、イェス・キリストのようになること、イェス・キリストの生き方に倣うことだからです。

そして、神の国を求める私たちの目標は
・霊的な枯渇
・貧しさを得ること
・ただ恵みによって救われたと自覚すること
に集約されます。
しかし、現代社会では効率と効果が重要とされるので、私たちクリスチャンも自然と「もっと良くならないと、もっと改善しないと」と考えがちです。その結果、教会の中で「良いわざ、奉仕」の経験を積み上げたり、「神さまに喜ばれること」を一生懸命にポイント稼ぎするような行動に陥る危険性があります。テモテへの手紙第一6章5節には「また、知性が腐ってしまって真理を失った人々、すなわち敬虔を利益の手段と考えている人たちの間には、絶え間のない紛争が生じるのです」とパウロが警告しているとおり、神の国に生きるクリスチャンのあるべき姿を失ってしまっていることもあるのです。

それでは私たちはどうしたら、自分を根本的に変える(Transform)できるでしょうか?それは「自分自身がどこから来たか」もう一度根本に戻って考えることです。
・・・なかなか難しい講義で、うまく訳せてなくてすみません。でもこの講義を通して、とっても大切なことを教えてもらいました。私自身の話になりますが、15歳で牧師になる招命を頂いてから、「どうしたら有能な牧師になることができるか?」と問い続け、その答えを実現するために、大学で経営学を勉強し、10年間社会人として働き、教会で様々な奉仕をしてきました。「牧師という仕事は熟練技術が必要である」という考えをもとに、マネジメント、リーダーシップ、コミュニケーションの能力をどれだけ高められるかが私の重要テーマでした。能力を高め、将来の奉仕に役に立つであろう経験をたくさん積むことが、主に喜ばれることだと信じていました。しかし、この講義を通して、「神の国」の常識と「この世界」の常識はかけ離れていて、私の考え方、良いと思っていることは「この世界」の価値観に大きく影響を受けていて、それは今までの教会での奉仕の姿勢にも顕著に表れていたな・・と気づかされました。
それもそのはず、資本主義のど真ん中で営業マン、コンサルタント、中間管理職として磨き続けてきた、「成功至上主義」、「徹底的な効率化」、「モチベーションを最大化するための仕組みづくり」といったフレームワークは聖書の語る「神の国」には相容れない、対局の考え方だったと思います。 昨年から仕事を減らして、留学準備を始めてからうすうす気づいていたことでしたが、今回の講義で決定的に打ち砕かれた感じです。この世界の価値観では、教会の奉仕でさえ、いつの間にか組織を満足させ、個人を満足させることに終始してしまう。。これが今の自分の現実です。いったん自分の願い、思いをゼロリセットして神さまの声を聴く、待ち望むことが必要だと思いました。

神の国に生きるとは・・
‐お金や名誉でなく、貧しさを身にまとうこと
‐聖書の中に答えを求め続けること
‐今この時、この場所を大切に生きること(刹那的・・という意味ではなく)
‐常に自分がどこから来たか(どう救いを受けたのか)覚え続けること
といったことを実践していうことでしょうか

講義が終わってから、Michael Pucci教授と個人的に話す機会を頂きました。自分の考えていることを共有し、将来牧師になるために、どう変わる必要があるのか?という問いに対して、「Transformationは本当に時間がかかる作業です。1年2年でどうにかなるものでもなく、効率よく最前の手順で進めるものでもないし、あなた自身の心の中で、自分は何者か?なぜ牧師になるのか?どうなりたいのか?を霊的に(静思の時間で)長期間にわたって問い続ける必要があります。そしてTransformationの手段は、アラムの将軍ナアマン将軍が皮膚病を癒される話(Ⅱ列王記5章)で、一度憤慨したナアマンがイスラエルの奴隷の娘の助言を聞き入れるように、『一見、愚かに見えるような』手段を用いられることが多いので、ぜひ覚えておいてください」との助言を頂きました。
うーん、まさに課題のど真ん中を指摘頂いた感じです。Regent Collegeの冬学期には「Soul of Ministry」という牧師学修士の必須科目があり、3‐4人の学生に1名の教授がアドバイザーとしてついて、「なぜ牧師を目指すのか?」、「この時代、この社会で牧師になるとはどのような意味があるのか?」と問い続け、答えを見つけるいう百人組手的な名物科目です。1年目の学びを進めながら、この講義で得た問いをしっかり問い続けていきたいと思います。

(リージェント・カレッジ図書館 "The John Richard Allison Library" なんと完全地下です)

2011年7月20日水曜日

Public Lecture

毎週月曜日と水曜日の夜8時から、RegentCollege(リージェントカレッジ)の公開講座に出席しています。
60分の講義と30分の質疑応答で、どのレクチャーも興味深く、なかなか日本では聞けない
貴重な内容です。(雰囲気はこんな感じです↓)














その中でも、印象深かったレクチャーを上げると
・Alister McGrath教授のWhy God Won't Go Away: Reflections on the "New Atheism"
「新しい無神論についての考察」日本は自ら無神論者ですという人が多いですが、その精神や考え方について考えさせられる貴重な講義でした。
※講義の内容は無料のMP3が公開されています
http://www.regentaudio.com/RGDL4100L

・Chris Hall教授の「1+1+1=1・・三位一体のミステリーと素晴らしさ」
クリスチャンにとって理解が難しい「三位一体」について、過去から現在に至るまでの理解とそれを知ることの素晴らしさについてわかりやすく説明してくださいました。

・Grant Wacker教授のビリーグラハムから学ぶクリスチャン生活のガイドライン
ビリーグラハムの伝道人生から、
・あらゆる誘惑に負けなかったこと(単身での生活が続いたにも関わらず、スキャンダルは一切なかった)
・お金や数字に対して正直であったこと(伝道団は会計を公開し、彼の給与から使い道まで明らかにした、さらに伝道大会の参加者数を数える際も、一切誇大せず正確な数字を公表したこと)
・プライドや名誉を求めず、謙遜でありつづけたこと
→これらは、クリスチャン(伝道者にも)にとって大切なガイドラインだと思います。

・Larry Huratado教授の2‐3世紀のクリスチャンの文字や文献から学ぶその信仰
2‐3世紀のクリスチャンは当時の文字や書籍においてパイオニア的存在であった。彼らの信仰は個人用として書き写した聖書の言葉に支えられていて、2,000年近く昔の文献からその内容を知ることができる。特に、「Jesus」を指す文字には、キリストの十字架をイメージできるような象形文字に近いギリシャ語がつかわれており(実際にパワーポイントでイメージを説明)












※上から4行目右に丸で囲ってある部分が「Jesus」を指す単語
教授の説明によると、当時のクリスチャンは聖書の中でJesusという文字を見るたびに、キリストが十字架刑にかかる姿を想像したでしょうとのことです。2世紀のクリスチャンにとってはA.D.30年の出来事は現代の私たちにとって明治時代を想像するのと同様に、2,3世代前の出来事をよりリアルに思い浮かべたんだろうなと思いました。

・Roger Lundin教授の19‐20世紀詩人の神の探求
Emily Dickinsonに代表される19世紀詩人の神学的価値を探求しながら、現代の信仰とは何かを深く探る講義でした。目に見えない神をどのように信じるのか?いま私たちが暮らしている時代、国とは遠くかけ離れているイェス・キリストをどのように神の子として受け入れるのか・・・現代資本主義に組み込まれた、とっても忙しい私たちの生活ではなかなか見出すことのできない視点を、詩人が残した文献から読み取る内容でした。クリスチャンであっても「自分の中にある疑問を真剣に問い続ける」ことの大切さ(それが神を求める探求につながる)、そして新約聖書のピリピ人への手紙2章5‐8節にパウロが記した「キリストの服従に倣う」ことの大切さ(探求の答えは聖書の中にある)を学びました。
質疑応答のなかで、教授が「私たちの自己は、何個も存在するメールアカウントの中にあるのではなく、もっとも親密な人間関係の中で見出すことができる。。」とコメントされていたのが印象的です。いくつもの仮面(社会の中で作り上げた人格・・・最近の例では、Facebook、Mixi、Gmail、職場のメールアカウント、肩書きの入った名刺などなど)、を持つ私たちですが、本当の自分に心から問いかける時間がどれだけあるでしょうか? 真実な自分でありたいと心から願う教会での自分も、実は真実になりきれない部分があったり。。礼拝とディボーション(黙想と祈り)の時間が私たちの心を、真に映し出す時間になって欲しいと願います。


まだ英語修行中のため、講義の理解度は50%程度ですが、終わったあとに分からなかったところを講師に直接聞きにいけるので、とても助かります。公開講座も7月一杯で終わりますが、残り3講義も期待して出席し続けたいと思います。


(UBCのLearning Centerの勉強部屋から空を眺める・・空がとてもきれいなのです)




2011年7月16日土曜日

Prayer Retreat


今日はRegentCollege(リージェントカレッジ)主催のPrayer Retreatに出席してきました。朝8時半から4時まで、講義、聖書朗読、祈り×3セット 最後に聖餐式とてんこ盛りの内容でした。
場所はSt.Helen's Anglican Churchで静かな住宅街PointGrayの中心から少し離れたところにある
アングリカンの教会でした。



リトリートのスケジュールは
9:00-10:00 祈りについての奨励
10:00-11:00 黙想と祈り(ヨハネの福音書11章1―46節)
11:00-11:30 分かち合い
11:30―12:30 黙想と祈り(マタイの福音書15章21―28節)
12:30―13:00 分かち合い
13:00-13:45 ランチタイム
2:00-3:00 黙想と祈り(ルカの福音書24章13-35節)
3:00-3:30 分かち合い
3:30―4:30 総括と聖餐式

となかなかてんこ盛り内容でしたが、聖書とじっくり向き合う時間が
たくさん取れて、本当にすばらしいリトリートでした。
講師はDennis Okholm師(Azusa Pacific University教授)
http://www.apu.edu/theology/faculty/dokholm/
Regent Collegeの夏季講座の特別講師をされている先生です。

最初の奨励を少しだけ紹介させていただきますね


まず、「祈り」について。私たちは1日の中の祈りを考えると、あまりにも日常の忙しさに縛られて、十分な時間を持つことができない。現代クリスチャンのもっとも大きな課題は「忙しさ」です。1日の間にいったい何回祈るでしょうか?ベネディクトの修道士たちは1日に3回、4回いや多い場合は7回、8回と祈りの時間を持っていました。私たちは朝起きた時に、目を覚ました瞬間に「この新しい1日は主が造られた(主が与えてくださった)」と覚えるべきです。
祈りはムード(気分)に左右されるものではありません。主のもとに立ち返る行為であって、祈りのなかでまずはじめに「主よ私の唇を開いてください、導いてください」と祈るのです。そして祈りは、私たちの生活の中心にあるべきです。今日1日を始める最初の祈りで「主よ、私は今日一日何をしたら良いでしょうか?」と尋ねるのです。私たちが毎朝歯を磨くのは、健康な歯を維持するためでしょう。同じように祈りはクリスチャンにとって習慣化されるべきもので、どんなに忙しい生活の中にあっても最優先されるべきものです。

次に聖書の御言葉を黙想することについてですが、いくつかのテクニックを紹介します。もちろん、あくまでも参考となる方法であって、御言葉の黙想は個人それぞれに合ったやり方を求めるべきです。
1.聖書の中のストーリーに自分自身を置いて(投影して)考えること
 具体的に言うと、あなた自身とストーリーの中の登場人物との関係を考えることです。
 「もし私だったらどのように考えるだろうか、どのように感じるだろうか?」
 「イェス・キリストは今の私の状況に対して何を言われるだろうか?」
 といった質問を自分自身に問いかけることです。

2.何回も熟読し、心に示されたことを思いめぐらすこと
 同じ聖書の箇所を3-4回繰り返し、静かに黙読する。
 次に先ほどの聖書箇所を黙想し、心に引っ掛かった言葉、フレーズを拾い出す
 (心に引っ掛かる、思い当たる、気になる箇所は、自分の心の反応だったり
  聖霊の語りかけを受けているところです)
 なぜ引っ掛かったのか?主は何を語られているのか考える
※ここでのポイントは、決して焦らず、答えを急がないこと。静まり、よく思い巡らし
 主のみこころを探ることが大切です。

私たちの生きている現代社会は、「行動」から「結果」をすぐに求め、「効率性」をとことん追求する傾向があります。聖書の言葉を黙想し、祈ることはすぐに結果を求める行為ではありません。黙想における、現代人の課題は「ただ座ってじっとしていることが難しい」ということでしょう。

(以上です)

・・・ディボーションの基本となる大切なことを教えてもらいましたが、リスニング力がまだまだ足りず、とっても教えられる例話や、心を刺されるような表現がまだまだ十分に現せてないです。。そのあとの(黙想+分かち合い)×3セットは、消化しきれないくらい沢山の恵みを頂くことができました。その内容は、まとまり次第、いつかシェアさせていただきますね。