リージェントではよく学生の会話の中で「CTC」という単語が頻繁にやり取りされます。
「今学期何のコース取ってるの?」
「うーん、OT(旧約聖書基礎)とHistory(歴史)とCTCだよ」
「CTCどう?」
「うーん、まじでCTC大変だよね」、
「そうそう、リーディングの量が半端ないし・・」 といった感じです。
長い間、IT業界にいたので、CTCというと伊藤忠テクノシステム(ちょっと前まで伊藤忠テクノサイエンス)が真っ先に思い浮かぶのですが、リージェントの名物授業であるCTCは、Christian Thought&Culture(クリスチャンの思想と文化)の略です。単にクリスチャンの思想や文化を座学で学ぶだけではなく、クリスチャンとしての変革(Transformation)を狙いとした、非常にチャレンジングな授業で、ALLリージェント+外部講師が持ち回りで各専門知識を生かした授業をしてくれます。秋学期がI、冬学期がIIと宗教改革前と後の時代区分で2つのコースに分けられています。内容は初代教会の教父の思想から、その背景となったギリシア哲学、各時代の思想、科学と宗教、芸術、現代のモダンからポストモダンまで、かなり深く専門的に学んでいく内容になっています。
今回はCTC Iの最初の授業であるProvan教授の「Stories, Your Story, God's Story」から、講義ノートに沿って、主な内容をシェアしたいと思います。
1.私たちの人生(ストーリー)の始まりについて
多くの人が自分の人生の記憶がどこから始まったか知りません。人生の始まりはミステリーであり、忘却から始まっています。私たちは聖書の言葉にこのミステリーについての言及を見ることができます。「神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることはできない。」伝道者の書3章11節
2.私たちの人生(ストーリー)の最後について
そして私たちがこの人生を終えた後にどこに行くのかを知りません。人生が終わったその先の探求も、中途で行き詰るため、混沌から脱出することができないのです。ダンテの『神曲・地獄篇』の冒頭は「人生の道の半ばで正道を踏み外した私が、目をさました時は暗い森の中にいた」というフレーズから始まります。 結局、私たちの人生は未完であり、何とかしてより偉大な人物との関係を深めたり、自らの有名さを通して歴史の一部になろうと努力しているのです。
3.ポストモダニズムとは?
ポストモダニズム思想の究極的な答えは「偉大な物語はこの世に存在しない」という考えです。 言い換えると、「この世界には私個人しか存在していない」という思想になりますが、フランスのポストモダニズム研究者であるジャン・フランシス・リオタールはこの事を「メタナレイティブへの不信である」と表現しました。これは我々が無自覚に信頼している科学、経済(共産主義、資本主義)そして宗教への根本的な疑いであるということも出来ます。
「我々は科学が万能でないこと、私たちが歴史を通して作り出したシステムが実は不確かで壊れやすいものであることに本能的に気づいている」
有名な戯曲である、『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』(Rosencrantz & Guildenstern Are Dead)の中では、周りの状況を理解できていない主人公2人が全く無意味な機知ある会話に没頭し、時間を無駄にしてしまうストーリーが繰り広げられますが、まさにポストモダニズムに生きる現代人の姿を現しています。ダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』では、「われわれは、お茶の葉っぱが東インド会社の運命を知らないのと同様、自分自身の運命を知らない」という有名なフレーズがポストモダンに生きる人々の特徴をよく表しています。しかし、多くの人はこのような現実に実直に生きることは難しく耐え難いものであると言えます。
4.しかし、人間はそのように創られてはいない
富と名声の魅力の中に現代人の心が現れています。 なぜ人はメロドラマとテレビゲームに夢中になるのか? それらに没頭する私たちの思考の中に「いったい何が起こっているのか?」という根本的な問いを投げかけることが出来ます。 現代の私たちは、他者を超えることや、より偉大な何かに引き付けられています。しかし、現実は確信できるものが不在の中で、自分自身の人生を造り出さなければいけない。
ポストモダニズムが蔓延しているこの社会では、だれもこの現実をなかなか見ようとはしません。もし、人間が人生の始まりと終わりを知ることがないならば、私たちの人生はただ過ぎ去り、消えていくしかない。そして、もし私たちが自分の人生しか持っていないならば、それは惨めであると言えるでしょう。
トルーキンの指輪物語の「シルマリリオンの物語」では、「私たちは終わることのない、同じストーリーを繰り返しているだけで、自分の存在に自らのアイデンティティを見出している」
人類の課題は「私たちが存在している世界」と「私たちの人生」の関係を見出すことです。それが個人的なものか?それとも、もっと大きく意味がある何かか?
5.クリスチャンの答え
クリスチャンは個人の人生に固着していません。世界全体は創造主なる神の世界であり、人間は神の形に作られた。そして世界は人間が真理を見つけることのできる場所であるという理解のもとに生きています。そして、真理は世界のどこにでも見つけることができる。なぜなら、すべての真理は最終的には聖書の語る福音の真理につながっているからです。 G.K.チェスタートンは「もし宇宙に壮大なストーリーが存在するなら、それは暗に宇宙の語り部の存在を意味する。」「私は今まで世界がマジックのように動いてきたことを信じてきたが、今や私はマジシャンに関心を持つようになっている。」 更に指輪物語のトルーキンは、「全ての童話は聖書の語る福音を反映しており、そして聖書は世界のあらゆるストーリーを理解するための手助けとなる。」とも言いました。
私たちは本当に意味ある人生を必要としています。指輪物語の主人公であるフロード、ダンテや他の人々がそうであったように、自らを理解し、人生の立ち位置を定める必要があります。そして私たちの人生はすぐ間近にある壮大な創造主なる神のストーリーに統合されるのです。
[God connects our beginning to our end.] 創造主は私たちの初めと終わりをつないでいる。このクリスチャンの思想に生きたアウグスチヌスは、「あなたはわたしたちをご自身に向けておつくりになられました。ですからわたしたちの心は、あなたのうちに憩うまで安らぎを得ることはできません」と言いました。そしてパウロは「今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には、顔と顔を合わせて見ることになります。今、私は一部分しかしりませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります」[コリント人への手紙第一13章12節]と語りました。
この聖書の約束は私たち人間を「彼らは永遠に幸せに生きる」という祝福の中に生かすのです。
6.CTC(クリスチャンの思想と文化)とは何か?
私たちは聖書の語る神のストーリーのただ中にいます。そして、ただ聖書からだけではなく、私たちの起源でもある2000年に渡るクリスチャンと教会の歴史からそれを知る必要があります。このコースに必要なものは、講義やリーディングから得た思想や信仰を自分の中で思い巡らすこと、そして理解し、その起源を知り、クリスチャンとしての立ち位置を据えることです。(以上)
毎週100ページを超えるリーディングと週2回の講義、そしてディスカッションを交えたチュートリアルは、かなり重い授業ですが、一言でいうと「クリスチャンとは何か?」を根本から考え直し、自分がいったい何を信じ、どう生きてきたかをキリスト教2000年の歴史から問い直すのがコースの狙いかと思います。このCTCIとCTCIIを通して、クリスチャンとしてTransformation(変革)出来たかどうか?が大切だと、チュートリアルの担当教授は最初の授業の後に話して下さいました。IとII合わせて、約8か月に渡る長い道程ですが、しっかり吸収、消化して、学びを進めていきたいと思います。
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