2012年8月4日土曜日

クリスチャン信仰のマスターチャート(基本図)

生涯の中で、「人生を変える」ような本に出会うことができるのは、そう頻繁にあることではないと思います。もちろん、聖書は人の人生にとどまらず、世界を変えるインパクトのある本ですが、数多い信仰書のなかで、自分の人生にインパクトを与えてくれる本はそう多くないとおもいます。
そんな滅多にない「人生を変える」ような本との出会いですが、リージェントに入学してから2か月後ぐらいに、James Torranceの「Worship, community & the triune God of grace」と出会えたのは、自分の信仰にとって転換点となり、これからも影響をもたらしていくことになると思います。

130ページほどのコンパクトな本ですが、キリスト教の基本教理である三位一体論を軸として、信仰、祈り、礼拝、洗礼などのクリスチャン生活にとって大切な要素を説明している本です。その中でも、自分が一番感銘を受けたのが、クリスチャン信仰の基本図(マスターチャート)を1枚にまとめて解説してくれているところです。今までは、自分の経験や、周りのクリスチャンの経験談を通して、信じるとは何か?何を信じているのか?祈りとは何か?考えていることが多かったのですが、聖書に基づいて全体像を把握することによって、バランスのとれた信仰についての理解を得ることが出来たと思います。


一見、複雑なチャートですが、


















(James Torrance, Worship, community & the triune God of grace P30から抜粋)
このチャートには私たちクリスチャン「We」と創造主(Father)、イェス・キリスト(Jesus)、聖霊(Spirit)との関係が、旧約聖書の時代、そして新約聖書の時代(~現在に至る)まで、1枚の図にまとめられています。James Torranceはこのチャートを「The Incarnational Trinitarian Model」(三位一体論者の顕現モデル・・・日本語に訳すといったい何のことか分からなくなりますが)と呼んでいて、二ケア公会議、カルバンそしてカール・バルトの解釈に基づいているとしています。
少しポイントをまとめてみると、”We”は私たちクリスチャンを表していて、クリスチャンはこのチャートの中で「R1」、「R2」、「R3」のの3つの相互関係・親交の中に生きる存在であることを説明しています。

「R1」・・イェスキリストと父なる神(創造主)とのユニークな関係
→福音書に書かれている父なる神とイェスキリストとの関係が、私たちクリスチャンの理想とするべき神との関係のモデルになります。 聖霊を通した創造主との親密な関係を私たちはイェスキリストの生涯から学ぶことができます。

「R2」・・ペンテコステ以降、聖霊を通して、教会とクリスチャンに与えられた、三位一体の神との共有関係
→この関係はクリスチャンの祈り、礼拝に関わってきます。 クリスチャンの祈りはイェス・キリストの名により、聖霊を通して祈る行為であり、聖霊ご自身が私たちの祈りを導いてくださいます。ローマ書8章26節に書かれてある通り、聖霊ご自身がどう祈ったらいいか教えてくださり、とりなしてくださるという約束です。そして、クリスチャンの祈りは自分本位の一方的な祈りではなく、聖霊を通して祈る相互関係を持った行為であると言えます。以前に、祈りについて「祈りという手段によって、神との関係を築こう、深めようとするのではなく、祈ること、その行為自身が神と直接関係することであると考えなさい」と教えてもらう機会があったことを書きましたが、 今までの自分の祈りは、忙しい生活の中で、たくさんの祈りの課題に圧倒され、十分に祈れない自分に罪悪感を感じることが多かったと思います。しかし、この学びを通して、最近は祈り自身が呼吸をするようにとても自然なものになってきたと思います。

「R3」・・クリスチャンとその共同体(教会)との関係
→クリスチャンは神の身体として例えられる教会の一部として、三位一体の神と同じような親密な関係を持つように備えられています。神が私たちをキリストにあって無条件に愛し、受け入れて下さったと同じように、私たちも無条件に兄弟姉妹を愛することが求められています。「教会」と「私」の関係を考えるときに、私たちは「人」にフォーカス(焦点)を置きがちですが、教会は単なるコミュニティを超えた、三位一体の神の交わりの延長線上にある、親密な関係をもった共同体と言えるでしょう。 たとえ教会が人間的な弱さを抱えていたとしても、もし私たちがキリストを愛するならば、キリストのからだである教会そのものを愛し、その弱さに仕えることはクリスチャンとして大切なことだと思います。

クリスチャンとは何者か?と問われると、それは「トリニタリアン:三位一体の神を信じる人々」という答えになると思います。私の仮説ですが、このマスターチャートや聖書に書かれているすべての背景について詳しく知っていなくても、成熟した成長したクリスチャンは、創造主・イェスキリスト・聖霊の三位一体についてバランスのとれた感覚を持っているのでは。。と思います。
ちなみにJames Torranceは、福音派のクリスチャンに良く見受けられる「存在的・経験モデル」ついても紹介しています。













(James Torrance, Worship, community & the triune God of grace P27から抜粋)
※このモデルによると、私たちクリスチャンは1,900年前のキリストの十字架の死によって赦され、神の子供とされました。キリストの十字架の働きは私たちの現在の信仰や救いの経験の手段となります。十字架の上で起きた出来事を通して、そしてその出来事についてのメッセージや説教を通して、信仰を得ることとなります。(Torrance, Worship, P27 )
・・・至ってまっとうな、キリストを信じるプロセスを簡潔に説明したコメントですが、著者は「個人的な信仰の経験」だけを強調すると、「私たちの信仰」、「私たちの決断」、「私たちの反応」・・と全てが個人的に解釈され、個人的に経験される体験に位置づけられる可能性があると指摘しています。
(逆に三位一体モデルにおいては、私たちの救い、祈り、礼拝、生活すべてが、三位一体の神を主体とした行為、そして関係性の中で起きるものだと理解します)

クリスチャン生活の最初においては、経験モデルの理解から始まるかもしれません。 しかし、クリスチャン生活を送っていく中で、聖書を学び、祈りを経験し、教会での交わりを通して、キリスト教の本質である「三位一体」についての理解と解釈、実生活への落とし込みができることが大事なのではないかと思います。
罪を赦され、救いを頂くという経験は、もしそれが私たちの経験だけに拠るものであれば、資本主義・大量消費社会に浸かっている私たちにとって、年月が経つと共にその感謝も薄れてくる。。ということは起こりえることなのではないかと思います。一方で、その経験をリフレッシュ・強化するために宗教的経験を求め続けることもあると思います。(でもその瞬間は感動しても、根本はあまり変わらないことが現実でしょう)しかし、キリスト者は救いと同時に三位一体の神との深い関係に招き入れられ、年が経っていくとともに感謝・喜び・平安・愛する心がどんどん深まっていくのが、人類に用意された神さまからの本当のGift(賜物)なのではないかと思います。

この本との出会いを通して、これからRegentしっかり学んでいきたい2つの分野が見えてきました。
一つは三位一体論の実践的な内容について、もう一つはクリスチャン霊性の分野です。
こちらに来て気付いたことは、「Trinity」(トリニティ)という言葉と、日本で話されている「三位一体」・・(Trinityの日本語訳)は使われ方とニュアンスが全然違うのでは・・ということです。神学校の授業や教授、友人とのディスカッションの中で、「Trinity」という言葉には、何か人格的なニュアンスが含まれていて、クリスチャンの間で、とても親密に使われているような気がします。(もちろん、Trinity=三位一体の教理はとっつきにくく、分かりにくい。。という意見も聞きます)。例えば、先日「Experiencing Trinity」という本を読みましたが、日本語で「三位一体を体験する」という本はピンと来ないかもしれません。東洋文化、日本文化を背景として、三位一体の教理をクリスチャン生活に落とし込んでいくことの必要性について考えさせられています。
まだいろいろと思索中ですが、霊性の学びは神学を実生活に落とし込んでいくところに関わってくるのかな?と思っています。クリスチャン霊性の分野については、2000年間にわたるクリスチャンの祈りの伝統を学んでいくところから始まりますが、 霊性の学びのテンプレートを通じて、現代の私たち、特に日本人としての文化、背景を持ったクリスチャンの霊性について深く知りたいと思っています。