2012年11月25日日曜日

Supervised Ministry(インターンシップ)の紹介

牧会学修士(Master of Divinity)のプログラムに所属する学生は教会、もしくはキリスト教関係の団体でインターンシップを1年間することが必須となっています。Supervised Ministryという授業がインターンシップに関わる必須科目であり、学校外部のSupervisorとミニストリーを行う場所を自分で探してきて、秋学期・冬学期を通しての約8ヶ月間に渡って、週8時間の実習を行うことになっています。

実習だけであれば、教会で行っている奉仕をレポートするだけでいい。。ということになりそうですが、このコースは隔週のケーススタディとリーディングの課題も課され、実習と同時にReflection(自己内省)も出来るようにデザインされています。

ケーススタディも非常に実践的な内容であり、例えば、

「あなたの教会には2つの顕著に別れたグループがあります。一つは現代的なワーシップを様々な楽器を用いて賛美することに傾倒しており、もう一つのグループは讃美歌を好み、プロジェクターに映し出される歌詞を何度も繰り返すことを好まないグループです。そこで、教会を始めた3つの中心的な家族(後者のグループに属する)のうちの1組のカップルが牧師であるあなたのところに来て、『もし現代的なワーシップを変えるつもりがないなら、自分たちと残りの2家族は教会を去るつもりである』ということを話に来ました。彼らは教会のリーダーシップ(役員会)には入っていませんが、教会の中では非常に大きな影響を持った家族です。そして、もし大きな変化が起こらなければ、他の幾人かのメンバーも教会を離れるという話があることも指摘してきました。さてあなたはどうしますか?」

かなり極端に思えるケースですが、こちら(カナダ)では、賛美の趣向と女性のリーダーシップについて、教会を割るような議論になることがあるそうです。

Supervised Ministryの授業でのアプローチですが、まず解決方法を考える前に、これらのコメントや起こった出来事に対する牧会者として自身の感情(emotion)をチェックするところから始まります。牧会における意見の相違や摩擦は常に起こることであり、フラストレーションは自身の期待がかなえられないところに発生してきます。それぞれの経験から生まれてくる基準や期待がかなわないときに出てくるフラストレーションは避けられない循環(サイクル)であり、クリスチャンとしての成熟が最も問われる(テストされる)分野であることを知ることが大切です。自分の期待を絶対的にしないという能力は謙遜(humility)に関わるところであり、「他の人が自分が正しいと思えることを必ずしも守る必要はない」という考え方を持てるかどうかがクリスチャンとしての謙遜があるかないかということになるとのことです。

具体的な解決方法は?と聞きたくなりますが、いくつものケーススタディを通して、
1.自己内省(自分を見ることで状況を客観的にとらえる)
2.他者の分析、起こっている問題の深い理解 
3.解決案の検討
(状況の洞察と神学的な解釈に基づいて行う)
この3プロセスを用いることを学んでいると思います。

Supervised Ministryは8ヵ月間を通じて、6人のメンバーが1つのグループとしてケーススタディを行い、ミニストリーのレポートを共有します。それぞれの祈りの課題がレポートと一緒に共有され、励まし合う関係が作り上げられていきますが、秋学期の途中に行った教会訪問は忘れられない経験になりました。1日かけて6人それぞれの教会を巡り、各メンバーが30-40分ぐらいかけて自分の担当するミニストリーと祈祷課題を各教会の会堂で共有し、最後に輪になって祈りあうというツアーをしました。ダウンタウンのメガチャーチ、UBC(ブリティッシュコロンビア大学)内のコミュニティチャーチ、韓国系の教会、歴史ある改革派の教会、日系人教会とバラエティに富んだ各教会の中身を知り、祈りあうことのできる経験は多くの示唆と学びを得ることができました。

私自身のインターンはバンクーバー日系人福音教会でユースミニストリーを中心に担当させて頂いています。今年の9月から午後にユース向けの礼拝を始めたばかりで、たくさんの日本人留学生、ワーキングホリデーの方々と関わる機会を持つことができて、リージェントでの学びを実践に適用する良い機会をもらっていると思います。海外の神学校で学びながら多くの日本人にアウトリーチできる環境は、将来の牧会に非常に役に立つ経験を頂けると思います。



















(ビクトリアの晴れた空もすごく澄んでいてきれいでした)

2012年10月31日水曜日

Pastoral Care

2012年秋学期はPastoral Care(牧会ケア)の授業を履修しています。学ぶ内容は牧会学の中で、メンバーのケアやカウンセリングを中心とした領域で、神学的なアプローチから、専門家による現場で必要となる知識まで、教会を牧会するために必要な様々な知識とスキルを身に着けることができるようになっています。そしてシラバスに記載されているコース全体の目的は以下の内容となります(Pastoral Careシラバスより抜粋)

1. Have a Trinitarian and participatory framework within which to view all pastoral ministry 三位一体の神学および参画型のフレームワークを持ってすべての牧会ミニストリーを俯瞰できるようになります。

2. Be inspired to develop a lifelong, dynamic inter-relationship between theology and the philosophy and praxis of ministry 神学と哲学そしてミニストリーの実践のダイナミックな相互関係を生涯を通じて発展させるきっかけを得ることになります。

3. Be equipped to live and minister in active participation with the triune God and in loving community with His people. 三位一体の神との生きた関係と人々との愛にあふれたコミュニティの中で生き、牧師としての務めを果たすために備えることができます。

4. Have gained an understanding into the essential nature of pastoral care and counselling. 牧会ケアとカウンセリングの本質的な性質の理解を得ることができます。

5. Have given significant thought to facilitating a pastoral care system which enables the whole people of God to care for each other, to keeping active members active 全てのクリスチャンがお互いにケアし、アクティブな人々を励まし続けるための牧会ケアの仕組みを作りこむための重要な思考力を身につけることができます。

6. Have been exposed to several situations associated with caregiving, which should have enhanced his/her ability to relate pastorally to persons in a variety of situations and settings. 牧会ケアの実践に関わるいくつかの状況を経験することができます。それらはさまざまな状況と設定にある人々を牧会者としてかかわるための能力を高めます。

7. Have gained a higher skill level of the essentials of pastoral care and a deeper self-understanding by means of being involved in class role-play situations, in practical ministry situations, and by reflecting practically and theologically about these involvements. クラス内のロールプレイングと実際的なミニストリーの環境に関与し、それらの実践的かつ神学的な振り返りと内省によって、本質的な牧会ケアの高いレベルのスキルと深い自己理解を得ることができます。

全12回の授業の中で、
-カウンセリングの方法と実践
-精神的な病についての学び
-ターミナルケア
はそれぞれ、バンクーバーの公的な機関や教会のカウンセリング部門で活躍されている専門家がゲスト講師として講義を担当して下さり、実践的な内容を学ぶことができるようになっています。

更に、学期末には牧会ケアの「Observation Reports」をまとめる必要があり、1.結婚カウンセリング、2.終末期ケアと葬儀、3.家庭訪問(病気の人々や長期欠席の方々)の3分野について、所属する教会の牧師先生をスーパーバイザーとして、実際に現場に同行してレポートを書くことになっています。

どの授業も牧会ケアに必要な各分野の深い学びができるので、秋学期の中ではとても楽しみにな授業になっていますが、その中でも特に勉強になったカウンセリングの授業について紹介させて頂きます。 カウンセリングと言っても、精神科医や臨床心理士のような専門家が行うようなカウンセリングではなく、教会内での牧会ケアの範囲にとどまる形でのカウンセリングについて学びました。授業の初めに、4つのカウンセリングのレベルを定義し、そのうち3つのカウンセリングについて、牧会ケアの視点からどのように行うかについての講義でした。













このように定義を明確にすることで、どこからどこまでのケアを牧会の範囲で行うべきか、教会の状況に合わせて、カウンセリングの奉仕チームを組むことができることを知りました。カナダでは1000人を超える規模の教会では、神学と心理学の両方の教育を受けた専門家がカウンセリングパスタ―として働いているケースが見受けられますが、多くの教会では牧師や教会リーダーがPastoral Careの範囲でのカウンセリングを対応するのが現状だと思います。

Guidance CounselingとPeople HelperはPastoral Careの中で教会の働きとして重要な位置づけを持っていて、Guidance Counselingの例としては、リージェントの創設メンバーの一人である、ジェームス・フーストン教授が長年携わってこられたメンタリング(1対1の対話を通して霊的な導き手となり、神学的な枠組みを持って人々をガイドする)の手法があり、People Helperになるためにはまず、「聴くことを通して人々を励ます」ことがあげられます。

そして、授業全体を通して
・自分がどのようなカウンセリングロール(role:役割)が性格上できるか理解する
・プロが対応すべき領域と教会で対応できる範囲を知る
・専門家(精神科医、臨床心理士)とのネットワークを持つ
ことが、教会で牧師としてリーダーとして奉仕するために必要なことだと学びました。

カナダと日本の環境の違いもあるので、将来、日本での牧会にどのように役立てることができるかについては、もっと深い学びをする必要がありそうですが、MDiv(牧会学修士)3年目の学びで、Introduction to Christian CounsellingChristian Counselling Laboratory の授業を履修して勉強したいと考えています。


















(アサバスカ氷河と青く澄んだカナディアンロッキーの空です)

2012年8月4日土曜日

クリスチャン信仰のマスターチャート(基本図)

生涯の中で、「人生を変える」ような本に出会うことができるのは、そう頻繁にあることではないと思います。もちろん、聖書は人の人生にとどまらず、世界を変えるインパクトのある本ですが、数多い信仰書のなかで、自分の人生にインパクトを与えてくれる本はそう多くないとおもいます。
そんな滅多にない「人生を変える」ような本との出会いですが、リージェントに入学してから2か月後ぐらいに、James Torranceの「Worship, community & the triune God of grace」と出会えたのは、自分の信仰にとって転換点となり、これからも影響をもたらしていくことになると思います。

130ページほどのコンパクトな本ですが、キリスト教の基本教理である三位一体論を軸として、信仰、祈り、礼拝、洗礼などのクリスチャン生活にとって大切な要素を説明している本です。その中でも、自分が一番感銘を受けたのが、クリスチャン信仰の基本図(マスターチャート)を1枚にまとめて解説してくれているところです。今までは、自分の経験や、周りのクリスチャンの経験談を通して、信じるとは何か?何を信じているのか?祈りとは何か?考えていることが多かったのですが、聖書に基づいて全体像を把握することによって、バランスのとれた信仰についての理解を得ることが出来たと思います。


一見、複雑なチャートですが、


















(James Torrance, Worship, community & the triune God of grace P30から抜粋)
このチャートには私たちクリスチャン「We」と創造主(Father)、イェス・キリスト(Jesus)、聖霊(Spirit)との関係が、旧約聖書の時代、そして新約聖書の時代(~現在に至る)まで、1枚の図にまとめられています。James Torranceはこのチャートを「The Incarnational Trinitarian Model」(三位一体論者の顕現モデル・・・日本語に訳すといったい何のことか分からなくなりますが)と呼んでいて、二ケア公会議、カルバンそしてカール・バルトの解釈に基づいているとしています。
少しポイントをまとめてみると、”We”は私たちクリスチャンを表していて、クリスチャンはこのチャートの中で「R1」、「R2」、「R3」のの3つの相互関係・親交の中に生きる存在であることを説明しています。

「R1」・・イェスキリストと父なる神(創造主)とのユニークな関係
→福音書に書かれている父なる神とイェスキリストとの関係が、私たちクリスチャンの理想とするべき神との関係のモデルになります。 聖霊を通した創造主との親密な関係を私たちはイェスキリストの生涯から学ぶことができます。

「R2」・・ペンテコステ以降、聖霊を通して、教会とクリスチャンに与えられた、三位一体の神との共有関係
→この関係はクリスチャンの祈り、礼拝に関わってきます。 クリスチャンの祈りはイェス・キリストの名により、聖霊を通して祈る行為であり、聖霊ご自身が私たちの祈りを導いてくださいます。ローマ書8章26節に書かれてある通り、聖霊ご自身がどう祈ったらいいか教えてくださり、とりなしてくださるという約束です。そして、クリスチャンの祈りは自分本位の一方的な祈りではなく、聖霊を通して祈る相互関係を持った行為であると言えます。以前に、祈りについて「祈りという手段によって、神との関係を築こう、深めようとするのではなく、祈ること、その行為自身が神と直接関係することであると考えなさい」と教えてもらう機会があったことを書きましたが、 今までの自分の祈りは、忙しい生活の中で、たくさんの祈りの課題に圧倒され、十分に祈れない自分に罪悪感を感じることが多かったと思います。しかし、この学びを通して、最近は祈り自身が呼吸をするようにとても自然なものになってきたと思います。

「R3」・・クリスチャンとその共同体(教会)との関係
→クリスチャンは神の身体として例えられる教会の一部として、三位一体の神と同じような親密な関係を持つように備えられています。神が私たちをキリストにあって無条件に愛し、受け入れて下さったと同じように、私たちも無条件に兄弟姉妹を愛することが求められています。「教会」と「私」の関係を考えるときに、私たちは「人」にフォーカス(焦点)を置きがちですが、教会は単なるコミュニティを超えた、三位一体の神の交わりの延長線上にある、親密な関係をもった共同体と言えるでしょう。 たとえ教会が人間的な弱さを抱えていたとしても、もし私たちがキリストを愛するならば、キリストのからだである教会そのものを愛し、その弱さに仕えることはクリスチャンとして大切なことだと思います。

クリスチャンとは何者か?と問われると、それは「トリニタリアン:三位一体の神を信じる人々」という答えになると思います。私の仮説ですが、このマスターチャートや聖書に書かれているすべての背景について詳しく知っていなくても、成熟した成長したクリスチャンは、創造主・イェスキリスト・聖霊の三位一体についてバランスのとれた感覚を持っているのでは。。と思います。
ちなみにJames Torranceは、福音派のクリスチャンに良く見受けられる「存在的・経験モデル」ついても紹介しています。













(James Torrance, Worship, community & the triune God of grace P27から抜粋)
※このモデルによると、私たちクリスチャンは1,900年前のキリストの十字架の死によって赦され、神の子供とされました。キリストの十字架の働きは私たちの現在の信仰や救いの経験の手段となります。十字架の上で起きた出来事を通して、そしてその出来事についてのメッセージや説教を通して、信仰を得ることとなります。(Torrance, Worship, P27 )
・・・至ってまっとうな、キリストを信じるプロセスを簡潔に説明したコメントですが、著者は「個人的な信仰の経験」だけを強調すると、「私たちの信仰」、「私たちの決断」、「私たちの反応」・・と全てが個人的に解釈され、個人的に経験される体験に位置づけられる可能性があると指摘しています。
(逆に三位一体モデルにおいては、私たちの救い、祈り、礼拝、生活すべてが、三位一体の神を主体とした行為、そして関係性の中で起きるものだと理解します)

クリスチャン生活の最初においては、経験モデルの理解から始まるかもしれません。 しかし、クリスチャン生活を送っていく中で、聖書を学び、祈りを経験し、教会での交わりを通して、キリスト教の本質である「三位一体」についての理解と解釈、実生活への落とし込みができることが大事なのではないかと思います。
罪を赦され、救いを頂くという経験は、もしそれが私たちの経験だけに拠るものであれば、資本主義・大量消費社会に浸かっている私たちにとって、年月が経つと共にその感謝も薄れてくる。。ということは起こりえることなのではないかと思います。一方で、その経験をリフレッシュ・強化するために宗教的経験を求め続けることもあると思います。(でもその瞬間は感動しても、根本はあまり変わらないことが現実でしょう)しかし、キリスト者は救いと同時に三位一体の神との深い関係に招き入れられ、年が経っていくとともに感謝・喜び・平安・愛する心がどんどん深まっていくのが、人類に用意された神さまからの本当のGift(賜物)なのではないかと思います。

この本との出会いを通して、これからRegentしっかり学んでいきたい2つの分野が見えてきました。
一つは三位一体論の実践的な内容について、もう一つはクリスチャン霊性の分野です。
こちらに来て気付いたことは、「Trinity」(トリニティ)という言葉と、日本で話されている「三位一体」・・(Trinityの日本語訳)は使われ方とニュアンスが全然違うのでは・・ということです。神学校の授業や教授、友人とのディスカッションの中で、「Trinity」という言葉には、何か人格的なニュアンスが含まれていて、クリスチャンの間で、とても親密に使われているような気がします。(もちろん、Trinity=三位一体の教理はとっつきにくく、分かりにくい。。という意見も聞きます)。例えば、先日「Experiencing Trinity」という本を読みましたが、日本語で「三位一体を体験する」という本はピンと来ないかもしれません。東洋文化、日本文化を背景として、三位一体の教理をクリスチャン生活に落とし込んでいくことの必要性について考えさせられています。
まだいろいろと思索中ですが、霊性の学びは神学を実生活に落とし込んでいくところに関わってくるのかな?と思っています。クリスチャン霊性の分野については、2000年間にわたるクリスチャンの祈りの伝統を学んでいくところから始まりますが、 霊性の学びのテンプレートを通じて、現代の私たち、特に日本人としての文化、背景を持ったクリスチャンの霊性について深く知りたいと思っています。

2012年6月9日土曜日

夏季集中講座

前回の更新からかなり時間が経ってしまいましたが、4月に3週間の一時帰国を挟んで、5-8月はリージェント名物の夏季集中講座を履修しています。夏学期は外部から多くのゲスト講師が招かれ、学生以外の聴講生も多数参加されるため、とてもオープンな雰囲気を持っています。この夏は5教科合計12単位を履修していて、6月からは7週間の連続講座であるギリシャ語初級を取る予定です。
前回の投稿では、リージェントのコミュニティについて紹介させて頂きましたが、学校のホームページに出身国のデモグラフィック情報がありましたので、共有させて頂きます。性別や年齢なども以下のページで見ることが出来ます。http://www.regent-college.edu/about-us/who-studies-here










何とシンガポールが3番目に来ているのが驚きですが、リージェントのシンガポールコミュニティは、かなり強力です(非常に優秀な方々が多く、スタディグループも頻繁にあり、私も参加させて頂いています)“Japanese 1” というのが少しさみしいですが、この秋には日本人の入学予定の方もおられるので、日本が何位まで上がるかが楽しみです。それでは近日中に夏季授業の内容を共有させて頂きたいと思います。

2012年3月20日火曜日

リージェント・カレッジのコミュニティ

冬学期もあと残り1ヵ月弱となりました。今週はリーディングウィーク(1週間授業休み)なので、課題の読書をこなしながら、少し落ち着いた時間を過ごしています。昨年9月に入学してから、既に7ヵ月が経ちますが、今日はリージェントカレッジのコミュニティ(人間関係)について紹介したいと思います。


神学校としてのコミュニティを建て上げるために、リージェントでは毎週火曜日の11時からチャペルタイム(1時間の礼拝)と12時からスモールグループの交わりを持っています。スモールグループは20ぐらいのテーマ別のグループに分かれて交わりを持っています。例えば、Women's Mdivグループ(女性教職を目指す人々)、Marketplaceグループ(職業を通して将来仕えたいと思っている人)、Artグループ(美術関連に興味のある人)、Filmグループ(映像・フィルムに興味のある人)などなど、それぞれの興味、趣味に合わせてグループを自由に選ぶことができます。ちなみに私は、Familyグループ(小さい子供がいる親のグループ)に参加していて、約10家族(子供合わせて30人くらい?)が毎週集まっています。スモールグループでは、お互いの近況を共有したり、祈りの時間を持ったりしていますが、このグループでの人間関係が、カナダに来たばかりの私たちにとって大きな支えになりました。

入学してから3-4か月経ってくると、授業や神学校のイベントで出会った友人との関係も広がってきました。私は家族(妻と娘)を持っている学生なので、家で一緒に食事をしたり、レジャーを楽しんだりするのは子供を持った夫婦が中心になります。年末から今月にかけて、一緒に食事をした学生の国籍を振り返ってみると(&は国際結婚という意味です)

・ブラジル
・アメリカ
・マレーシア&香港
・香港
・中国
・韓国
・シンガポール
・韓国&カナダ
・カナダ
・カナダ&日本
・アメリカ&韓国

日本人なので、自然とアジアの方々とお付き合いすることが多くなりますが、本当にいろいろな国籍の人と知り合いになっていると思います。もちろん、国籍や文化だけではなく、教派や職業も様々で、カリスマ系の背景を持った友達から、アングリカンの育ちの友人、元投資銀行マネージャーやベンチャー企業経営者など、交わりを持つたびに、いい刺激をもらっていると思います。こちらはPotluck(ポットラック)という持ち寄りの食事会が人気で、毎週のように家族で集まっては、ワイワイと食事を一緒に囲んで、楽しい時間を持っています。


ちなみに、コミュニティでの異文化体験では、ちょっと日本では想像できない事態も起こることがあります

・ほぼ初対面の相手に「子供2人目は予定しているのか?いつなんだ?」と聞かれる

・3人グループで祈っている途中に、ひたすらスープを飲み続けてるお母さん(相当急いでいたのでしょう)

・ほぼ時間通りに集まらない(6時に集合!ではなく、6時から食べ始めるので5時半から6時の間に来てくださいという説明が必要になります)
最初はいろいろな違いに戸惑うこともありましたが、最近は違いも楽しめるようになってきたと思います。

卒業後は、それぞれの国に帰って、牧師になったりミニストリーに携わることになると思いますが、神学校のコミュニティを通して築いた人間関係が、将来も続いて行くことを楽しみにしています。ちなみに、秋学期は日本人たった1人でしたが、冬学期から2人になり、今年の秋には日本人コミュニティがリージェントの中に誕生しそうです! 英語の勉強も大切ですが、学校内で母国語で話せる相手がいるというのも、とても嬉しいことです。


















(バンクーバーは冬から春にかけて雨ばかりですが、最近は晴れる機会が増えてきたと思います)

2012年2月24日金曜日

「牧会魂」~Soul of Ministry~

今学期は、リージェントカレッジ牧会学修士プログラムの必須科目である、「Soul of Ministry」のコースを履修しています。この授業は牧師や宣教師、フルタイムで神さまのために働きたいという願いのある学生が、自分のCalling「招命」についてとことん考えるという授業です。毎週の講義+4人グループのディスカッションを通して、なぜ献身するのか?どのように教会に仕えるのか?について答えを探し求めます。「牧会魂」というと、ちょっと大げさな表現ですが、「Soul」という言葉の日本語訳にはいろいろな意味があり、「本質」とか「手本」とか「感情」、「判断力」という意味があるようです。

ちなみに授業の目的ですが。。(シラバスの抜粋です)
このコースを通して、学生は以下の理解を得ることとなります
1.神の宣教に携わる人間についての完全な理解を得ることができます。それは三位一体の神のイメージと、人間の罪と堕落の社会的・心理的影響を知ることにより、自分自身についての知識と神の知識(二重の知識)を得ることによって実現します。
2.生まれ育った文化や家族が、自己のアイデンティティ、道徳や霊性にどれだけ影響を与えてきたかを知り、自分の人格の強みと弱みと、神の救いのわざによる回復の両方について深く知ることができます。
3.創造から始まる人類に対する神の宣教のわざに、献身者として働く意味についての神学的理解と、個人それぞれに導かれる神からの招命(Calling)を深く知ることができます。
4.牧会者として「何すべきであり、すべきでないか」という基本的な問いから、教会の牧師およびリーダーの正しい役割と責任について理解を深め、牧会における過剰な期待やプレッシャーを和らげることができます。
牧師になるための準備として、とても大切な内容が含まれていると思いますが、「神学校に来てまで、もう一度自分の招命を問い直すか?」といった疑問もありました。ちょっと前に、日本で牧師をしている父親に話したところ、「こちらの神学校でするにはなかなか難しいカリキュラムだよね」との意見で、確かに神学校に入ってから「実は自分は牧師向きではなかった。。とか、神さまの招命は牧師以外のところにあった」という結論が出てしまったら、大変なことになると思います。事実、リージェントではこの授業を通して「牧会学修士」から別の専攻に変更したり、逆に「牧師」としてのCallingを発見したりということがよく起こるそうです。
「なぜ生涯をかけて、牧師という仕事に従事したいと思うのか?」その動機、そして何をもって仕えるのか?について深く掘り下げることは本当に大切なことだと思います。15歳で召しを頂いてから、10年かけて問い続けたCallingについてもう一度整理して考え直すことは自分にとってもチャレンジです!
「Soul of Ministry」の授業の中でVocation(天職:神さまから与えられた仕事)ついて学ぶ機会がありました。通常は「天職」というと職業を思い浮かべると思いますが、具体的な職業を考える前に、まず始めに人間であるという天職、クリスチャンであるという天職について考えることが大切であり、なぜ神さまは私をこの地上に人間として置かれたのか、なぜ私はクリスチャンになるように導かれたのかについて考えることが基礎であると教えられました。これは牧師だけでなく、全てのクリスチャンに当てはまることで、人間としての天職の場合、身体を大切に管理すること、夫として、親として家族のために時間を過ごすことは神さまから与えられた重要な使命であり、与えられた責務を果たすことが最優先であるということです。そして多くの間違いや問題は、職業を一番優先に置いてしまい、人間であることとクリスチャンであることを犠牲にしてしまうところから起こってくるということです。
ちなみに、あるべきVocationのバランスは、ウェディングケーキのような形であるのが望ましいというとのことです(下記のようなイメージです)















牧師やミニストリーに携わる場合、一番上のPersonal Vocationが極大化してしまい、アンバランスになるケースが多いということです。

カナダで勉強を始めてから神学校での勉強を超最優先に置いて頑張ってきましたが、妻や娘と過ごす時間や日曜日の礼拝に出席すること、友人と関わることも神さまから与えられた天職であると教えられ、これからの3年間を通してしっかり身に着けていきたいと思わされました。非常に恥ずかしい話ですが、娘と遊んでいる時間でも、宿題のことで気持ちは上の空であったり、夫婦で話す時間があったら勉強に回したいと普通に考えている自分がいて、もう一度生活全体をチェックする必要があります。これは将来の仕事で、本当に忙しく、追い詰められた時に何が一番大切なのか、優先順位を決められるトレーニングだと思っています。

この授業は、MDiv(牧師学修士)の責任者である、Ross Hastings教授と、学長でありクリスチャンカウンセリング分野のエキスパートである、Rod Wilson教授が担当し、心理学、牧会コンサルティング、緩和ケア、市場神学の専門家がゲスト講師として参加しています。
来年のインターン(Supervised Ministry) に向けて良い準備ができるように、しっかり勉強していきたいと思います。


















(ユーコンの冬の空は青く澄んでいて、とてもきれいでした)

2012年1月5日木曜日

講義外で教えてもらったこと

リージェントカレッジでは、学期中に各教授から個人指導を受ける時間を持つことができます。これが何回行ってもフリー(無料)で、教授の部屋の扉に貼ってある時間割シートに名前とメールアドレスを書き込むだけで、15分~30分の面談時間をもらうことができます。もちろん、人気のある教授は1週間‐2週間待ちということもありますが、論文指導だけでなく、信仰面や霊的な課題についてもいろいろ聞くことができるので、秋学期には時間と余裕があれば、個人指導の時間を持つようにしていました。(フリーだったら行かなきゃ損!という感覚が働きますが、各分野のプロフェッショナルから1対1で時間をもらえるというのは大きな特権だと思います)

今回はリージェントのMDiv(牧師学修士)コースの責任者である、Ross Hastings教授に、かねてから疑問であった、牧師としてのプロフェッショナリズム(プロ意識)とスピリチュアリズム(霊性)のバランスをどう取ったらいいか?という課題について聞いてみました。
私にとっては、牧師には熟練技術が必要であるというリック・ウォレン師の言葉(恐らく、『健康な教会へのかぎ』の中の一フレーズだったと思います)に非常に共鳴を感じた時期があり、将来牧師を目指すためにはどんなスキルセットが必要か・・ということについて真剣に考えた時期がありました。その一方で、教会の奉仕はプロフェッショナリズムを超えた霊的なわざ(聖霊の働き)に大きく依存する部分があり、牧師になるためには両方のバランスをどう取るか?ということに興味がありました。
教授の回答は、霊性が1番、プロフェッショナルが2番という簡潔な答えでした。「しかし、牧師という立場が教会の中で非常にパワーを持っている立場であることを忘れてはいけません。大きな影響力を持つが故に、プロフェッショナルであることを追求するべきです」、「だが、ビジネスの世界におけるプロフェッショナリズムに染まってはいけない、ただ純粋にプロフェッショナルである必要がある」と話してくださいました。更に「特に牧師という仕事は自己実現・自己達成にならないように気を付けなければいけません。牧会の中で、自分のアチーブメントを追及するときに間違いや誤りが起こり、不健全になります。そしてしばしば、神ではなく人を喜ばせようとしてしまう。人を喜ばせようとすることは牧会におけるもっとも大きな誘惑です」
・・・日本の教会ではあまり強調されない牧会におけるプロフェッショナルの考え方ですが、教授が否定をせずにむしろ勧められたところに感動しました。開拓、中規模、大規模教会と3つの種類の牧会を経験されてこられた先生だけに、一つ一つのことばに説得力がありました。

「牧師という立場は、教会の中のリーダーとしての役割がありますが、教会員よりも立場が上であるということは決してありません。むしろ牧師は、教会員一人一人が神の祭司として、どうしたら神の知恵を身に着けて(equip)もらうことができるか?というミッションを持っています」
牧会における霊性については、ジェームス・フーストン教授のThe Transforming Power of Prayer(邦題:神との友情)を紹介してくださいました。霊性の訓練として、「祈りを積み上げることで神の関係を造るのではなく、祈りそのものが神さまと関係を持つことであることを学びなさい」と励ましの言葉を下さいました。
Ross Hastings教授と学長であるRod Wilson教授が担当される、冬学期の「Soul of Ministry」は、牧師としての招命や霊性について掘り下げる授業ですが、2年目以降の必須科目である「Pastoral Care」や「Empowering the Church for Re-Evangelization」、「Pastoral Ethics」あたりの授業が牧会プロフェッショナルのど真ん中を突く授業だと紹介して下さいました。今は1年目を乗り切るので精一杯ですが、2‐3年目の授業でしっかり勉強できるように、リージェントでの学びを積み上げていこうと思います。


 


(久しぶりに晴れた空をみることができました・・・バンクーバーの冬はほとんど曇りか雨です)