2011年8月11日木曜日

ポストモダニズムと無神論

リージェント・カレッジ夏学期の公開講座の最後の授業はMessiah CollegeのCrystal Downing教授でした。http://www.messiah.edu/departments/english/faculty/downing.html

『ポストモダンの代表的な思想である「無神論(Atheism)」こそ、創造主とイェス・キリストを信じるきっかけを持っている』という大胆な主張で始まり、現代社会の人の心、精神の由来を考える貴重な話をしてくださいました。

Downing教授はモダン、ポストモダンアートと現代建築の分野を研究していて、美術そして建築のデザインそのものから、それぞれの時代の思想とキリスト教観を抽出するような内容です。講義はモダン前の中世の宗教画の説明から始まり、ポストモダン主義を代表する思想と美術品、そして1900年以降の建築思想について、具体例を挙げながら詳しく説明してくださいました。

講義の全体的な理解となる基本的な内容は
・1400‐1500年以前のキリスト教の宗教画は「崇高なメッセージ」を伝える目的で書かれていた。
・16世紀以降、モダニズムの絵画に遠近法や実写的な要素が取り入れられ始める
・ルネッサンス以降の絵画に見られるようになった「ありのままを書く」、「さまざまな角度から物事を見る」考え方は、近代思想の主流となり、「私自身が理解できる物だけを信じる」という考え方につながっていく。
ルネ・デカルトの「今までの考え方を疑い、自分自身のみを信じる」・・われ信じる故にわれあり・・という思想に始まり、現代の私たちは、ひとりひとりがそれぞれの宗教的価値観、信条、考え方を持つようになった。
(講義はモダニズムからポストモダニズムの建築に現れる、現代人のふ信条や思想にふれ、自ら理想とする信念や信条を追い求めながらも、到達することのできないもどかしさを説明していました)

フレデリック・ジェイムソンがポストモダニズムの問題としてとらえる、「共時していない、共時性」(共時性・・意味ある偶然の一致)がまさに現代人の病であり、真理を求めながらも真理に行きつかない、古き良き伝統に懐かしさを覚えつつも、その本質から遠く離れた形だけのものを求めたりしていることに、その現象を見出すことができます。

この講義の結論としては、クリスチャンの立場として、ポストモダニズムの影響を受けた「無神論」こそ信仰を知る大きなチャンスであり、神ご自身が、人々に彼を知ってもらうためにポストモダニズムを利用される・・という大胆な考えに至ります。なぜなら、「無神論」という立場である以上、自分自身で宗教を建てあげているのと同等の状況であり、物事を真剣に考えるなら、神についてもっともっと話す機会を投げかけることができるからです。

非常に刺激的な、少し極端にも思える議論でしたが、なるほど2つぐらいピンとくる内容があったと思います。
1つめは、現代人はそれぞれに信条、信念を持っていて、それらに個人の信仰が大きな影響を受けているということです。たとえプロテスタントのクリスチャンであっても、信じ方や信仰のあり方、信じるきっかけや背景は、驚くほど異なっていて、同じ神を信じていても、それぞれがオリジナルを持っていることの理由がよくわかりました。(もちろん、日本人という大きなバックグラウンドがどのような影響をもたらしているかは、もう少し考察する必要があるでしょう)
2つめは、ひとりひとりがそれぞれの物事の見方を持っていて、それらが独自の信条のような形をしているのであれば、まずはその形をよく知ることが、その人自身の心を開き、信仰や信条について話す土壌ができるのではないかということです。また、特定の考え方を一方的に押し付けられたりすると、せっかく築き上げてきた個人の信条を否定された気になり、拒絶反応を持つことも当然のことでしょう。

この夏最後の公開授業でしたが、クリスチャンそしてまだクリスチャンになっていない人に対して、どのように接したらいいか、深く教えてもらえる機会となりました。